盆の入りから今日まで

 13日、職場から帰ると前日に退院した祖父が迎え火を焚いている。半分にした一斗缶に薪がくべられており、隣に腰をおろしている。一仕事終えてくたびれたようだ。部屋着に着替えて外に出ると、祖父が散布機を背負って小屋から出てきた。そのうち母も帰ってきた。祖父は昨日、除草した分のやり残しだと言い訳をしている。

 退院して帰ってくるなり、祖父は屋敷の周りに除草剤を撒いて回ったらしい。入院している間に草が伸びたと文句を言っているが、と母は言う。今まで寝てばかりいて急に何を言い出すのだ、私だってよくやっているじゃないか。祖父は近頃めっきり動かなくなり、腹が膨れ、脚はやせ細り、まるで蛙のようだった。久しぶりに陽のもとで動いたせいか、体調を崩して弱音を吐いていた。俺はもう死ぬところだ。

 母と一緒に墓参りに向かう。まだ太陽は見えなくなったが、まだうす明るい。お前が生まれる前、違う職場にいた時は、真っ暗になってから来たものだと母は笑っている。父に車のライトをつけたままにしてもらって、拝んだものだ。俺も度々暗くなってからきたぞと笑い返してやる。そうかと母もまた笑う。

 翌日、仕事途中に用事があり家に戻ると祖父がささぎの皮を剥いている。準備が終わったかと聞かれる。盆の祭りの手伝いをしてきたのだ。汗ばんだ上下を放り出して、職場に戻る。

 その次の日も同じように剥いていた。どうやら母が指示したらしい。土曜日で、親戚宅への挨拶から戻ってくると、水路の砂利を揚げようと言う。他から流れ込んだ砂利が通りを悪くしている。夕暮れ時で、近頃はだいぶ涼しくなった。祖父は、このままでは水路に雪を捨てられないと、早々と心配している。

 砂利を農薬の袋に詰め、水を抜いてから別へ持っていくそうだ。私がスコップで詰め、祖父が袋を運ぶ。思っていたよりも多く、十数袋ぶんになった。いくらかすると、祖父はもう死ぬばかりだと、疲れて座っている。私は笑いながら手を止めない。掬える砂利が少なくなると、もうそろそろだなと確認しあった。

 晩飯を食べ終えて居間で携帯をいじっていると、テレビでは終戦記念日の特集が流れていた。中国も韓国も、と祖父は得意の口上を始めた。弱かったから攻めこまれたのだと、意気込んでいる。あんまりつまらないことを言うなよと、私は無視をしてやる。

茄子

 先週末、仙台へ旅行に行った。七夕祭りを来週に控えながら、それでもアーケードには人が多いと呟きつつ、楽しい数日を過ごした。

 宿泊した温泉旅館は、夏休みだからと親子連れが多く、合宿か遠征しにきた高校生もいた。大学時代に友人たちと泊まったことがあった。美味しいバイキングに広い湯船もあり、当時を思い出して再び選んだのだった。

 風呂から上がり、湯冷ましにロビー脇のベンチに座って街中で買った『仮面の商人』を読んでいた。眠気をこらえつつページを繰っていると、尿意に襲われ便所に向かう。たもとに文庫本をいれてみたが、なんだかぎこちない。若い作業服の兄さんと入れ違いになり、便所は宿泊客と共用なのかと思い、また休日の夜まで大変だと同情した。加えて、漫画の一場面を思い出したのだった。

 『茄子』という短篇集の中に、同じ女子高生が主人公のものがいくつかある。借金取りに追われて父親はフケて、残された女子高生が気丈に弟、妹を支えている。彼女は元々住んでいたアパートから親戚の家に身を寄せ、以前よりも気苦労無く生活することができる。子供らしさを取り戻していく。

 親戚に引っ越した後に、山中のコテージにアルバイトにいく話がある。コテージには大学生のテニスサークルが泊まりに来、一緒に来た友人と彼らの世話をする。洗ったシーツを干し終えて、彼女らは地べたに座ってこんな言葉を交わしていた。

「世の中にはシーツを洗う人と洗わせる人がいるのだね」

「洗うのもやだけど 人に洗われるのもやーだ」*1

  てっきり女の子らしい羞恥心か、はたまた『スウィングガールズ』のような地口だと思っていたのだけれど、便所で作業着の兄さんとすれ違ったあの時、私も同じ感慨を抱いたのだった。

  父親がいなくなり、彼女は貧しい生活を強いられる。ご飯のおかずもなく、他の学校の栽培実習で育てた茄子で飯を食い、借金取りから情けの金を渡される始末である。夏場、両脇に弟妹を抱えて眠りながら、「ああちくしょう いっそ体でも売ったろかい」*2と思ったりする。彼女は女性的な気丈さをもって問題に立ち向かうから、その苦しみは表に出てこない。学校をサボって煙草を吸っている姿も、清々しさを感じさせる。

 けれど彼女が身につけてきた気丈さは、引っ越しした先ではなんだか浮足立って見える。彼女は若い自分の身の上と、しっかりした(「守銭奴みたいな」*3 )振る舞いを見比べて、不釣り合いに思いながら、次第に折り合いをつけていく。アルバイト先での会話は折り合いをつけた後の話、彼女が女子高生なりの生活をするようになった後の会話だ。

 自分に責任があるのだから頑張らなければならない、なんて自負はくたびれる。仕事をするようになってから、気負って自分を奮い立たせようとし、結局潰れてしまうことを繰り返した。周りの人間がなぜあれほどに飄々として生活できるのかが分からなかった。

 彼女は女子高生らしくない過大な責任を下ろし、シーツを「洗う人」と「洗わせる人」を区分する世界から一旦保留をもらったのだった。他人のために自らが苦しみを背負って立つ、なんて女子高生の彼女らには似合わない。

 私は旅館の一画で、唐突にその場面を思い出したのだった。そして旅館で一時的に気を休めていられる自分の有り様を思いやっては、全くないとは言わずとも、今よりも気苦労のない生活があるだろうと考えていた。

*1:「その15 残暑見舞い」(『新装版 茄子 下』、黒田硫黄、平成21年2月)

*2:「その4 空中菜園」(『新装版 茄子 上』、黒田硫黄、平成21年1月)

*3:「その10 39人(後編)」(同上)

夏の夜

 二階に上がると廊下の網戸が開いていた。冷気と一緒に外の臭いも入ってきた。草いきれを薄めたような臭い。夏の実感が急に湧き、そして寂しい気持ちになった。夏などとうに半分過ぎてしまったのに、何故今更気付くのだろう。

 寂しい理由はそれだけではないかもしれない。洗濯物をたたみながら、携帯で本を探す。ポイント倍増のキャンペーンに煽られて、『仮面の商人』と『近代日本の文学史』に決める。注文する前に思いとどまり、母親に無駄遣いを気付かれないように取り消す。週末に有給をとって仙台で遊んでいる間、追い打ちのように商品がとどいてはまずいと思ったのだ。七月に入った今、ボーナスで買った本も殆ど手をつけていないのに。やましさを感じて、向こうの、ネットショップと同じ系列店で買おうと決める。

 六月の始めにはうるさかった蛙の鳴き声にも、もう慣れた。意識を向けなければ気づきもしない。夜十一時ごろに家に着いて、少しでも夜更かしして絵を描こう、本を読もうと思っていた私に、そのやかましさを意識させたのは、夏の夜の涼しさと、穏やかな草の臭いだった。

 読みもしない本を買って満足している。半端に漫画を描いてはほったらかしている。いつかは読めると、描けると思っている。学生時代ほど、物事を急いだりしなくなった。不確かな自分が何者かになるために、しなければならなかったものは多かったし、おかげで迷ったまま何もできずじまいだった。もう本を読み、絵を描くことで解消される不安はいなくなった。

 けれど今日の晩、私を寂しくさせたのはその不安の不在だった。呼び戻そうとしても戻ってはこないのでないか。来たらきたで困るのだが、ふと去来したこの思いはあの夏の幸せを思い出させる。

 蚊に食われたら困ると思いながらも、今日は網戸を開けたまま眠ることにする。でも家族には迷惑だと思い、自分の部屋だけ開けておく。