夏の夜

 二階に上がると廊下の網戸が開いていた。冷気と一緒に外の臭いも入ってきた。草いきれを薄めたような臭い。夏の実感が急に湧き、そして寂しい気持ちになった。夏などとうに半分過ぎてしまったのに、何故今更気付くのだろう。

 寂しい理由はそれだけではないかもしれない。洗濯物をたたみながら、携帯で本を探す。ポイント倍増のキャンペーンに煽られて、『仮面の商人』と『近代日本の文学史』に決める。注文する前に思いとどまり、母親に無駄遣いを気付かれないように取り消す。週末に有給をとって仙台で遊んでいる間、追い打ちのように商品がとどいてはまずいと思ったのだ。七月に入った今、ボーナスで買った本も殆ど手をつけていないのに。やましさを感じて、向こうの、ネットショップと同じ系列店で買おうと決める。

 六月の始めにはうるさかった蛙の鳴き声にも、もう慣れた。意識を向けなければ気づきもしない。夜十一時ごろに家に着いて、少しでも夜更かしして絵を描こう、本を読もうと思っていた私に、そのやかましさを意識させたのは、夏の夜の涼しさと、穏やかな草の臭いだった。

 読みもしない本を買って満足している。半端に漫画を描いてはほったらかしている。いつかは読めると、描けると思っている。学生時代ほど、物事を急いだりしなくなった。不確かな自分が何者かになるために、しなければならなかったものは多かったし、おかげで迷ったまま何もできずじまいだった。もう本を読み、絵を描くことで解消される不安はいなくなった。

 けれど今日の晩、私を寂しくさせたのはその不安の不在だった。呼び戻そうとしても戻ってはこないのでないか。来たらきたで困るのだが、ふと去来したこの思いはあの夏の幸せを思い出させる。

 蚊に食われたら困ると思いながらも、今日は網戸を開けたまま眠ることにする。でも家族には迷惑だと思い、自分の部屋だけ開けておく。